絵の技術的向上などというものは、言ってみれば英語(他言語)を学んでいるようなものです。より豊かな言い回しを覚え、
言わんとするニュアンスが、より正確に他者に伝わるように工夫すること。
つまり、文法など、伝達のための表現技術を学ぶことなのですが、ほんとうに大切なのは、その学んだ技術で“いったい何を伝えるか”ということでしょう。
つまり、そこに詩人としての才能が問われるわけですが、これまでの長い間、私はその才能を磨こうとしてきませんでした。
自分の感じていることの中で、他者に伝えるに値する何かを洗練していくこと。
植物画、というテリトリーに限定すれば、その植物の造形的な魅力を感じとり、伝えることはいくらか出来ていると思いますが、
人間の人生において、広めるに値する感覚的な何かとはどのようなものか、を模索することは藝術に携わった者の宿命、だと今の私は思い始めています。